このブログを初めてお読みになる方は最初に→【あげまんとは?】をご覧ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
皆さんこんばんは、宮 弘智です!
※本日は”日記的な記事”ですので、そのつもりでご覧ください。
先日、学校の先生をしているクライアントの女性からある相談をされました。
(↑動画:チョークを投げる教師と生徒のイメージ)
それは、チョークを投げると「体罰」になるらしいのです。
※体罰についての定義は、
学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
を参照ください。
皆さんは「体罰」についてどう思いますか?
私は悪いことをした人には「体罰」は必要なものだと思っています。
私は学生時代は体罰を受けて育った人間です。
私の場合は「体罰」がなかったら、今頃は「お勤め中」(刑務所の中の人間)だったかもしれません…。(汗)
この記事はもしかして「問題」になっちゃうかもしれませんね…。(汗)
ですが、本日は私が考える「体罰の必要性」について書こうと思います。
【私が考える「体罰」がないとダメな理由とは?】
私は「体罰」って必要だと思っています。
だから「刑務所」という場所があると思うんですって。
例えば、法律違反ギリギリなことをすると怒られるだけで済むときもありますよね?
でも、法律違反を犯すと「刑務所」に入れられちゃうんですって…。(汗)
それって、ある意味で「体罰」ですよね?
だって、刑期を終えないと刑務所からは出られませんよね?
だから、国から「体罰」を受けないように気をつけましょうね。
私は警察官でも裁判官でもありませんから、人を取り押さえたり「確保〜!」とか言って悪い人を勝手に捕まえたり出来ないんですよね。
警察官も逮捕するときには、相手が抵抗すれば、さすがに殴ったり叩いたりしますよね?
大暴れする人や、性的異常者なんていう人は、そうやって「隔離」しとかないと、何人でも人殺しちゃう人も出てきたら困りますからね…。(汗)
だから、この世の中から体罰の全てが消えちゃうというほどの世の中じゃないと思うんですよね。
最近では、若い学生が殺人事件を起こしたり、殺人の低年齢化が進んでいるように思えます。
だから歴然として、犯罪者がいるのであれば、犯罪者を入れとかなきゃいけない所があるんですよね。
【宮は「取り調べ」を受けていた!?】
(画像:オービスのイメージ)
私も当時、法定速度が40キロの環七(現在の法定速度は50キロ)で106キロのスピード(66キロオーバー)を出してオービスに引っかかって「取り調べ」を受けたことがありました。
↑そのときに乗っていた車がインプレッサWRX STIという、メチャ早い車だったの調子をコイてました。
それから、この愛車を手放すキッカケになったのは、なんと「盗難」でした…。(汗)
いま考えると、この出来事は天の神様が…
天罰じゃ〜!
でも、そのおかげで「いまの私」があるのだと思っていますし、その出来事に感謝できるようになりました。
【「幸せになりたければ『恥』をかきなさい。」とは?《恥をかくことが大嫌いな人は必見!》】という記事の中でも書きましたが、人は「痛い目」(失敗)に合わないと学びはないし、もがく出来事がないと『魂の成長』もしないと心と身体で学びました。
人殺しなど犯罪を犯したり「悪い事」をするということは、それなりのリスクがあるということは忘れちゃいけません。
それが「体罰」になって返ってくるか、「天罰」になって返ってくるかは、私にもわかりません。
悪い事をすれば、『何らかの罰は避けらない』ってことですからね。
だから、犯罪に関わらず、犯罪を犯さず「罰を受けないような人生」を送りましょうね。
[sc:blog_ad ]