宮 弘智の深夜の独り言 (その1)《ちょっと変わった精神論》

はい、こんばんは。

宮 弘智の深夜の独り言のコーナーです。

 

今夜のテーマは『ちょっと変わった精神論』です。

もちろん、私は精神論なんて立派なことを言えるような立場でもないし、そんな人間でもないです。

 

私は聞き上手なので色々な方々の話を聞いて、自分のクライアントさんや「この人」って人に話しをするのですが、今日は内容をわかりやすくする為にチョット過激な話をするかもわかりません。

 

深夜の独り言なので勘弁して下さい。

 

たとえばですね、よく外国の人で、手のひらから何かを出す人がいます。

「物質化現象」というものです。

 

手のひらから、小麦粉が出るだとか、砂金が出るだとか、はたまた、宝石が出ただとか…。

でもね、あれはインチキなんです。

 

私は、あんまりそういうの認めない人なんです。

どういうことかと言えば『タネ』があれば、手品ですよね?

 

私が何に対して『インチキ』かと言えば、ミスターマリックさんは、色々な物を出しては「ハンドパワーです!」とか言っていました。

 

でも、あの方は『手品師』なんですよね。

これを超能力だと言っちゃったら、これは間違いなく『インチキ』ですよ。

 

でね、ホントに何かを出したとします。ホントに出てたとします。ホントに物質化現象をやってるとしますよね?

 

そうすると、その人は自分の物(食べ物・衣類・お金…)など、いろんな物を自分で出せばいいのですよね?

 

ということは、有り余るほど出せる人間で、米蔵に米がいっぱいあるとか、倉に財産がいっぱいあるとします。

 

それなのに、貧しい人たちから『寄付』をもらって生活をしていたら、それって『インチキ』ですよね?

私は、それを言ってるんです。

 

だから、本物だろうがニセモノだろうが、結局は『インチキ』なんです。

 

結局は『インチキ』じゃないかって、それを言いたいんです。

ホントに出たとか、出ないとかじゃないのです。

 

私が言う『精神論』は、普通は人は手品とか出来ないですよね?

 

まして、ホントに何か出すって、まず出来ないですよね?

 

でね「出来てる人がいますよ!ホントに手のひらから何か出しますよ!」とか言って、こうやってなんか出したとします。

 

でもね…

その人って朝昼晩のご飯を「手のひらから、こうやって出してますか?」って話しですって。

 

出してないでしょうって!

「あんたの出したものは、何かの能力ではなくて、タダの手のひらの汗だよって!」

手品も出来ない、実際に手から汗ぐらいしか出ない人っているのです。

 

そういう人が手や額に汗して耕したお米とか、必死になって海で漁師さんが獲った魚を私たちが食べているんでしょって…。

 

「私は超能力がある!超能力で東京から九州の人に波動とか電波を送れるんだ!」とか言っている人もまあいいですよ。

 

じゃあ、私が「あ」とか「い」とか「う」とか、言って、その人が当てて見るとしますよね?

「百発百中に当たりますか?」って!

 

「私が長い文面を言っても、あなたは当てれますか?」って!

 

超能力者同士でそれやってたら、電話なくても会話できますか?

 

出来ないでしょう?ホントにできたら、通話料も要らないよって!

 

何の能力がなくても、雨が降った時、雪が降った時、一軒づつポストに入れてる郵便屋のおじさんがいるんですよ。

 

そういう人たちがいるから、私が手紙書くと、百発百中で相手に届くんですよ!

 

百発百中ですよ!これって凄いですよね!?

大事なことって「そのすごさが分かる」ということなんですよ。

 

だから「手から何か出す、すごい人に会ったんですよ!」って感激する人がいたら、私は黙々と米作ってるおばさんの方がすごいと思います。

 

そのすごさがわからないで「超能力やスピリチュアルでなんやかんやをやった人だけが、すごいすごい!」と思ってるのです。

 

東大の学長さんだって、素晴らしいと思います。

 

でも、自分で米は作れないのです。

いくら素晴らしい人でも、一人でいたら飢え死にしてしまいますって!

 

私もそうですが、よってたかって、皆さんに食べさせてもらっているのです。

どんな人も必要なのです。

 

私は「あなたは要らないよ!」と言っているのではないのです。

 

みんな必要なのです。みんなが必要なんですよって言いたいのです。

 

手から何か出して、みんなびっくりさしてもいいけど、人から寄付もらってんじゃないっつーの!

 

たとえば、私の両親がサラリーマンでした。

 

そのサラリーマンの両親は、私たち子供二人大学へ行かして、切り詰めて切り詰めて、何にも特技がない人でしたが、子供二人、育ててくれました。

 

私を裸で学校へ行かせるようなことはしませんでした。

 

ちゃんと洋服着せたり、いろんな物を買いそろえてくれて行かせてくれました。

 

これってすごいんです!本当に感謝です!

 

なんか出来る人よりも「できないでやってる人」の方がすごいんですよ。

 

普通の人は、欲しい物があったからって、誰でもそうですが、お爺ちゃんもお婆ちゃんもみんな戦後は大変な思いしながら育てくれました。

 

ですから、なんか呪文を唱えて、お腹が空いたからパンを出したなんて話は、聞いたことありません。

 

欲し物があると、高い物だったら、ローンや借金やなんかで、買ってくれていたのです。

 

今の人みたく、サラ金やって返せなくなって自己破産しましたとか、そんなことなんて出来ませんでした。

そうじゃない人が、年寄りやなんかでいっぱいいるのです。

 

私の家の前の道路だって、生まれた時にはありました。

 

そういう『何の能力のない人』(凡人)が額に汗を流して作ったのです。

 

 

それが何よりもすごいのです。

郵便だって、電話だって、そうです。

 

超能力者が「チンカラホイ!」て考えたんじゃないよ。

 

ふざけんじゃないよっつーの!

 

『精神論』っていうのは「何にもないことが幸せ」と気づけるかだと思います。

 

何にもない人が頑張ってやっているからすごいんだよね。

 

そのことが分からなきゃいけないんだよね。

 

「特殊な能力があってすごいですね!」って、特殊な能力がなくてもみんなが頑張ってんだよ!

「電話よりね、すごい特殊能力ってどんなんだよ!」って。

電話よりも、もっとすごい超能力があったら見せてもらいたいもんだよ、ホント。

 

「普通のことに凄さを感じる。」これが私がクライアントさんに教えている『精神論』です。

だから私の精神論の中にオカルトも何もないです。

 

「それが凄い!」ってみんな言ったら、世の中凄い人だらけですって!

 

もう、嬉しくなっちゃって、みんなすごい超能力者以上ですよね。

みんな超能力もないのに、本当に頑張ってます。

 

超能力があるのに「人から金もらってる人」は、よく聞きけっつーの。

 

みんな頑張ってんだっつーの!

 

みんな頑張っていきましょうって言ってますが、私も頑張ります!

 

みんなで頑張りましょう!

 

以上、宮 弘智の独り言でした。

 

ありがとうございました。

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